日本除雪機製作所(NICHIJO)の重機・建機高価買取致します!!
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創成期・除雪機製造の開始 (1940年代〜1970年代)
1942年 新潟鐵工所が、日本で最初期のロータリー除雪車の開発・製造に着手。これが後の日本除雪機製作所の技術的ルーツとなる。
1947年 日本除雪機製作所が設立(創業)。除雪機械の専門メーカーとして事業を開始。
1960年代 ロータリー除雪車や除雪トラックなど、幅広い除雪機械のラインナップを確立。日本の積雪地域のインフラ維持に貢献。
1970年代 ディーゼルエンジンを搭載した高性能な除雪機械の開発に注力。
事業の強化と新潟鐵工所からの継承 (1980年代〜2000年代)
1980年代 除雪作業の効率性と安全性を高めるための技術開発を推進。多機能で大型の除雪機械を市場に投入。
1990年代 各種制御システムを導入し、除雪車の操作性を向上。
2001年 母体の一つであった新潟鐵工所が経営破綻。
2003年 新潟鐵工所の鉄道車両事業や特殊車両事業が、新潟トランシス(IHIグループ)に承継される。この過程で、日本除雪機製作所の除雪機械事業も新潟トランシスグループの一員となる。
IHIグループ体制下での活動 (2010年代〜現在)
2010年代 環境規制や安全性向上に対応した新型除雪車を開発。特にコンパクトで高機能な機種の需要に対応。
現在 新潟トランシスの子会社として、ロータリー除雪車や除雪トラックをはじめとする除雪機械の製造・販売・メンテナンスを一貫して行い、日本の降雪地域の交通網を支えている。
HTR55/HTR85/HTR86/HTR105/HTR146/HTR265/HTR300/HTR306/HTR407/HTR605/HTR801/NDS15/NDS2025/NDS35/NDS40/NWS15/NWS20/NWS25/NWS35/NWS40/NWS50/NWS60
北海道内の炭鉱鉄道であった留萠鉄道(1970年鉄道廃止)の子会社として設立された機械メーカー・三和興業が前身で、1950年代後期から除雪車両の開発に取り組んできた。除雪車を主力とする、除雪装置の全般的な製造を行っている。またJR北海道の開発したデュアル・モード・ビークル (DMV) の実車の製造を行った企業でもある。
●DR101CLの開発
1955年12月、前身となる三和興業時代に親会社の留萌鉄道から除雪車開発の依頼を受け、58年12月にロータリー式ディーゼル機関車「DR101CL」(製造は新潟鉄工所に外注)を納入した。当時の国鉄における除雪車両編成が36人体制だったのに対し、DR101CLはわずか二人で作業ができた他、価格も三千万円と国鉄の除雪車両の5分の1と破格だった。エンジンが除雪・走行兼用の1台のみで出力不足という欠点はあったものの、鉄道用のディーゼル動力によるロータリー式除雪車として日本での先駆例となり、国鉄でのロータリー除雪車開発・改良にも影響を与えた。この除雪車の功績をたたえるため運輸省(現・国土交通省)は、運輸大臣賞を留萌鉄道社長の田淵助六(後に日本除雪機製作所初代社長)に授与した。
●HTR型の開発
DR101CLの成果に注目した北海道開発局は、当時所有していた日本初の国産除雪車である三菱製WTR型ロータリ式除雪車の改造を依頼。依頼を受けた三和興業は改造に着手しHTR型と名付けられた。1959年12月、開発局建設機械工作所で他メーカーの除雪車による性能試験でHTR型は他を圧倒し、性能の高さを裏付けた。これを受けて、開発局は三和興業に除雪専用車の開発を打診し、三和興業は札幌市菊水に新たな工場を建て62年3月にHTR2型を完成させた。同年4月、三和興業は社名を「日本除雪機製作所」と改めた。
●高速型除雪車の開発
1960年代に入ると、国道の除雪延長は飛躍的に伸び、それに伴い除雪車の大型化や馬力の強化など、性能の向上が求められた。1969年、車体中央部が折れ曲がるアーティキュレイト方式を応用した除雪車「MR12型」を開発、除雪装置の可動範囲を広げると共に、除雪作業の効率化を図った。
1993年、開発局建設機械工作所と共同開発で最高速度70キロ、除雪速度20キロのHTR411Sを開発した。これにより高速道路における通行規制をすることなく高速道路を通行できるようになり、除雪スピードを向上させることに貢献した(高速道路では法令により時速50キロ以下で走行することが禁じられているため、時速50キロ以下で設計され法令上特殊車両扱いとなる一般除雪車が移動する際、一般車両の通行規制が必要だった)。